(1)水舎門→神楽殿

                                  


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  ● 大石鳥居から入ります。
       大鳥居
          2代将軍秀忠、3代将軍家光の幕政で活躍した酒井忠世が寛永10年(1633)に奉納しました。
          昭和17年(1942)に旧国宝に指定。
          関東大震災時に微動だにしなかったそうで、建築界の驚異の的となったそうです。

                          


  ● 水舎門に向かう両脇に石灯篭が並んでいます。 
       石灯篭
          200基以上あり、ほとんどが現在の社殿の造営の年、1651年(慶安4年)に諸大名により奉納され
          たものです。

                  


  ● 水舎門
       慶安 4年(1651)、阿部重次が建築奉納したものです。
       御水舎の上屋だけを昭和39年(1964)に門として移築したそうです。

                  


                  


  ● 唐門方面に進む表参道の両脇には石灯篭が並んでいます。

                  


  ● 手水舎手前を左折すると「池之端参道」で不忍池方面へ。

    * (池之端参道)

                             


  ● 右側を見上げると「五重塔」が見えます。
       五重塔(重要文化財)
         上野動物園敷地内に建つ五重塔は元々は上野東照宮のもので寛永8年(1631)に建てられました
         しかし五重塔は、寛永16年(1639)3月、花見客の失火により焼失してしまいました。
         3代将軍家光は、直ちに日光東照宮の寛永の大造替の際に大棟梁として指揮した甲良豊後守宗
         広と、息子の宗久に命じ、同年高さ約32メートルの現在の五重塔を再建しました。
         明治初期の神仏分離以降、五重塔は寛永寺の所属となりました。
         昭和33年(1958)に東京都に寄贈され、現在に至っています。

                           


  ● 唐門に向かいます。

                          


  ● 右側に「神楽殿」が。
       1874年(明治7年)、深川木場組合奉納。
       屋根の勾配の美しさは都下随一といわれ、毎年お花見の時期には御神楽の奉納が行われます

                  


  ● 広島・長崎の火
       1945年8月6日・9日、広島・長崎に人類最初の原子爆弾が米軍によって投下され、一瞬にして十数
       万人の尊い生命が奪われました。
       そして今も多くの被爆者が苦しんでいます。
       広島の惨禍を生きぬいた福岡県星野村の山本達雄さんは叔父の家の廃墟に燃えていた原爆の火
       を故郷に持ち帰り、はじめは形見の火、恨みの火として密かに灯し続けました。
       しかし、長い年月の中で、核兵器をなくし、平和を願う火として灯すようになりました。
       1968年8月6日、星野村は、この「広島の火」を「平和の火」として、村人の協力によって今日も灯し続
       けています。
         核兵器の使用は、人類の生存とすべての文明を破壊します。
         核兵器を廃絶することは、全人類の死活にかかわる緊急のものとなっています。
         第二のヒロシマを   第二のナガサキを
           地球上のいずれの地にも出現させてはなりません。
       これは「ヒロシマ・ナガサキっからのアピール」(1985年2月)の一節です。
       1988年、3000万人のこのアピール署名と共に「広島の火」は長崎の原爆瓦からとった火と合わされて
       ニューヨークの第三回国連軍縮特別総会に届けられました。       
       同年4月、「下町人間のつどい」の人々は、この火を首都東京上野東照宮境内に灯し続けることを、提
       唱しました。
       上野東照宮嵯峨敞全宮司は、この提案に心っから賛同され、モニュメントの設置と火の維持管理に協
       力することを約束されました。
       広範な人々のよびかけによって、翌89年4月、「上野東照宮境内に(広島・長崎の火)を灯す会」が結成
       されました。
       それから1年余、数万人が参加した草の根の運動と募金により、1990年7月21日、モニュメントが完成
       しました。
       被爆45周年を迎えた8月6日に星野村の「広島の火」が、8月9日に長崎の原爆瓦から採火した「長崎
       の火」が、このモニュメントに点火されました。
       私たちは、この火を灯す運動が、国境をこえて今緊急にもとめられている核兵器廃絶、平和の世論を
       強める全世界の人々の運動の発展に貢献することを確信し、誓いの火を灯し続けます。
          1990年8月   上野東照宮境内に「広島・長崎の火」を灯す会

                          


                         


  ● 銅燈籠      台東区上野公園九番
       東照宮社殿から門前と参道に、50基の銅燈籠が並んでいる。
       燈籠は神事・法会を執行するときの浄火を目的とするもの。
       照明用具ではない。   浄火は神事・仏事に使う清めた火。
       燈籠は上部から、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基壇で構成されている。
       火袋は、八角・六角・四角などの形式に分かれ、各面には火口・円窓という窓を設けている。
       火袋下部の長い部分を竿といい、ここに銘文を刻むことが多い。
       これら銅燈籠は、諸国の大名が東照大権現霊前に奉納したもの。
       竿の部分には、寄進した大名の姓名と官職名・奉納年月日等が刻字されている。
       それによると、伊勢国(現三重県)津藩主藤堂高虎奉献の寛永5年(1828)銘一基をはじめ、慶安4年
       (1651)正月17日奉献2基、同年4月17日奉献45基、同5年孟夏17日奉献2基となっている。
       慶安4年17日は東照宮社殿落慶の日。   その日の奉献数が最も多い。
       これら銅燈籠は、東照宮社殿とともに一括して、国の重要文化財に指定されている。

                  


  ● 唐門に向かって両側に御水舎があります。
      右側・・御水舎
           制作年不明の大きな鈴が釣り下げられています。
              明治七年甲戌年 六月
              駒込肴町  願主 石屋八右衛門
                 狛犬の石工、酒井八右衛門寄進の鈴。
                 井亀泉(せいきせん)の名で江戸三大石匠と呼ばれ、江戸時代から昭和初期まで四
                 代に渡り、多くの石造物を残した。
                 鳥居や狛犬などには酒井八右衛門、墓碑や顕彰碑には井亀泉の銘を刻んだ。
                 鈴の来暦は不明であるが、昭和30年頃珍品であるため人目のつくところにと、この
                 水屋につけられた。           上野東照宮

                  


      左側・・御水舎
           手水の作法
             手水舎で手を洗い身を清め、清々しい気持ちでお参りしましょう。
                一、はじめに右手で柄杓(ひしゃく)をとり、水をすくい左手を洗い清めます。
                二、柄杓を左手に持ち替え、右手を清めます。
                三、柄杓を右手に持ち、左の手のひらに水を移します。
                四、そっと口をすすぎます。
                   (柄杓に口をつけたり、水をつけたり、水を飲んだりなさらないでください)
                五、もう一度左手を清め、最後に柄杓を傾け柄に水を流します。

                     


                  


                                   


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                                ● (入口へ) ●



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