繰糸場

 ● 繰糸場 ●

     明治5年(1872)の建設。
     長さ140.4m、幅12.3m、高さ12.1m。
     製糸場は、良い生糸を大量に生産できる器械製糸の技術を全国に広めるという役割を果たしました。
     明治5年から操業停止の昭和62年(1987)まで115年間に渡り生糸を生産した工場です。

    * (繰糸場入口)

                         


     木骨レンガ造平屋建てで、内部に「トラス構造」という従来の日本にはない造り方が用いられています。
     窓はフランス製で、採光のために多く窓が取り付けられ、建物内には柱のない大空間が広がります。


                  


    * (操業当時の内部の様子)

                          


    * (屋根を支える骨組は、三角形に部材を組み合わせた構造です)

                          


     創業当初はフランス製の繰糸器300釜が設置され、世界最大規模の工場でした。
        ブリューナ・エンジン(博物館 明治村蔵)
           ヨーロッパから輸入したエンジンです。
           石炭を燃やしてボイラーで蒸気をつくり、その力でエンジンを動かして300繰の繰糸器を動か
           しました。
           はずみ車の直径は2.4mほどあります。
        繰糸器械(岡谷蚕糸博物館蔵)
           フランスから輸入した繰糸器械。
           もともとは25人繰一連となっていました。
           この器械は、輸入当時のものに改良が加えられているといわれています。

    * (ブリューナ・エンジン)・・・(繰糸器械)

               


     全国から集められた女性たちが、働きながら器械製糸の技術を学び、後に地元の工場で指導者となり、
     日本の産業近代化と器械製糸の発展に大きく貢献しました。
        和田 英   旧姓/横田
           長野県埴科郡松代町(現・長野市松代町松代)に松代藩士横田数馬の次女として生まれる。
           1873年、16人の女工とともに富岡製糸場へ。
           1874年、富岡製糸場を退職。  和田盛治と結婚。
           盛治の死後、富岡製糸場での日々を回顧して「富岡日記」を著しました。

     現在、建物の内部には昭和40年(1965)以降に設置された自動繰糸機が残されています。
           (1) フランス式繰糸械を使った繰糸作業の再現
           (2) 坐繰器を使った糸とりの様子

    * (和田 英)・・・(1)・・・(2)

               


     碓氷製糸(安中市)
         伝統的技法を伝える現役の機械製糸工場です。
         現在、日本で操業しているのは山形県の松岡と碓氷製糸の2ケ所だけとなっています。

                      


                          (画像をクリックすると、大きくなります)


                                ● (入口へ) ●


 

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