(4)松下村塾

                    


                      


                     


   ● 松下村塾(模造)
        松陰先生の叔父である長州藩士の玉木文之進が、天保13年(1842)萩に寺子屋を開き、松下村塾
        の看板をかけたのが村塾の名の起こりです。
        玉木氏が公務多忙の為、塾は自然消滅しましたが、その後、久保五郎左衛門(松蔭の外叔父)が塾
        主となり復活し、安政4年(1857)まで引継ぎました。
        更に、松陰先生が再投獄されるまで引き継ぎ、さらに玉木氏や兄の杉梅太郎らによって断続的なが
        ら明治25年(1892)頃まで続きました。
        松陰先生は、安政2年(1855)26才の冬に出獄(米艦に乗船を企てて投獄されていた)してから、実家
        である杉家で親戚の子弟などに教育をはじめ、翌年の夏頃には親戚以外の者も通ってくるようにな
        りました。
        しだいに塾生が増えたため、安政4年(1857)11月5日には、杉家内の小屋を補修した八畳一間の塾
        舎が完成。
        松陰先生は塾に起居し、塾生に対し師弟同行の実際教育を行いました。
        さらに塾生が増加して手狭になったので、安政5年(1858)3月、十畳半の増築がおこなわれました。
        松陰先生が熟成に教育を施したのは、僅か2年半程でありましたが薫陶をうけた総勢90名程の塾生
        からは、久坂玄瑞、高杉晋作、山縣有朋、品川彌二郎、伊藤博文、野村靖など、明治維新を通し近
        代日本の原動力となった多くの逸材が育っていきました。
        当神社にある模造松下村塾は、昭和13年12月に隣接する国士舘校内に松蔭先生顕彰のため建築
        されたものです。
        当時、すべての建築材料を萩で集め、東京へ移送して建築され、木材、瓦などは幕末期の毛利藩代
        官屋敷の古材が使用されました。 (現在でも建材の多くは当時のものが残っています)
        その後、昭和16年に国士舘から当神社に寄贈され、境内の鳥居脇へ移築。
        平成8年に境内整備のため、現在の場所に移築。
        平成28年には維新150年記念事業の一環として約8ヶ月をかけ保存修繕工事を行いました。

                                  


   ● 模造松下村塾の古瓦
        昭和13年、国士舘校内に模造松下村塾を建築するにあたり、すべての建築材料は萩で集め、詳
        細に模倣して建てられましたが、その際に使用された古瓦です。
        幕末期の毛利藩代官屋敷の古瓦であり、毛利家お抱え瓦職の阿川家が焼いたもので、瓦に「阿」
        の刻印が見られます。  (現在、建物に使用している瓦は複製です)

                   


   ● 建築当時の看板
        模造松下村塾が国士舘校内に建築された際「景松塾」と名付けられ、学生の修行道場として活用
        されました。
        「景松塾」標は萩松陰神社の社司市川一郎の筆と伝えられています。

                                          


   ● 松下村塾の主な塾生たち

                


                            


       高杉晋作(たかすぎしんさく) 天保10年(1839)〜慶応3年(1867)
          19歳のとき松下村塾に入塾、松下村塾四天王の一人。久坂玄瑞と共に松門の双璧。
          文久2年上海に渡り世界の動きを知り、尊王攘夷運動を起こす。
          騎兵隊を組織し薩長同盟を締結、第二次長州征伐軍を各地で撃破するも結核で死去。
          享年29歳。
       伊藤博文(いとうひろぶみ) 天保12年(1841)〜明治42年(1909)
          安政3年浦賀警護に出役の時、来原良蔵に見出され松下村塾に入塾。
          のち桂小五郎に従い攘夷運動に参加。
          井上馨と共に英国に留学、倒幕、富国強兵論に転じ、明治新政府の要人として数度の内閣を
          組織。  ハルビン駅頭で狙撃。享年69歳。
       久坂玄端(くさかげんずい) 天保11年〜元治元年(1864)
          高杉晋作と共に松下村塾の俊才。  松下村塾四天王の一人。
          14歳で藩校明倫館に入り医学教授、洋学教授を学ぶ。
          17歳で九州に遊学後江戸にて洋書の勉学。
          井伊直弼独断の日米修好通商条約締結に反対し、以後皇位回復を使命とした。
          禁門の変にて負傷、鷹司邸にて自刃。享年25歳。
       前原一誠(まえばらいっせい) 天保5年(1834)〜明治9年(1876)
          吉田松陰に師事、長崎に遊学、英学を修め後脱藩し京都に遊学。
          元治元年の役、慶応元年6月幕長戦参謀、明治元年北越出兵総督を歴任。
          明治9年朝廷の奸臣を払うため決起するも敗れて斬首。享年43歳。
       品川弥二郎(しながわやじろう) 天保14年(1843)〜明治33年(1900)
          安政4年入塾。寺田屋事変に関係、高杉晋作と外国公使襲撃計画、文久3年正月松蔭遺骨に
          尽力をつくし士雇となる。木戸孝允に従い薩長連携に尽くす。後倒幕軍参謀として各地を転戦。
          後政府の要職を歴任し各大臣、枢密顧問官に任ぜられる。
          国民協会を組織し信用組合の奨励に尽力。 享年58歳
       山田顕義(やまだあきよし)  弘化元年(1844)〜明治25年(1892)
          安政5年入塾。 元治元年、上京し禁門の変に参戦、四国連合艦隊とも戦う。
          後、整武隊総督となり戊辰戦争には倒幕軍の参謀、明治4年陸軍少将になる。
          岩倉具視等と欧米諸国を視察、陸軍の要職を歴任、明治18年司法大臣となる。
          日本大学、国学院大学を創設。 享年49歳。
       山縣有朋(やまがたありとも) 天保9年(1838)〜大正11年(1922)
          安政6年10月久坂元瑞の紹介で入塾。 元治元年の役に参加、武器を兵制の改革を痛感。
          後、上洛し西郷、大久保等と倒幕の薩長同盟を討議。
          渡欧し兵制の研究。大村益次郎の後軍政を担当。廃藩置県を推進。
          国民皆兵を主張し徴兵制を制定。 軍の中枢と各大臣、内閣などを歴任。享年85歳。

   ● 石碑

                             


                  



   ● 松下村塾での教育
        松下村塾聯(松下村塾の床の間に掲げられていた言葉)
          万巻の書を読むに非ざるよりは、寧んぞ千秋の人たるを得ん。
          一己の労を軽んずるに非らざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致すを得ん。
             大意;多くの書物を読まず、どうして将来語り継がれるような人になり得るだろうか。
                 自分の労苦をいとう者にどうして人々の安らかな生活を築くことができようか。
                 決してできない。

        萩の松本村にあったということで松下村塾と名付けられた塾で1856年8月頃から1858年末までの
        2年半程の期間、松陰先生は塾生に教育を施しました。
          教育の目的は 「君臣の義」 (君主と臣下の間で守るべき正しい道)
                    「華夷の弁」 (日本人と外国との違いを明確にすること)
                    「奇傑非常な人」 (人並み外れた優秀な人材)
          を育むことでした。
          身分に関係なく誰でも入塾でき、先生は塾生それぞれをよく観察、記録し、そこで気付いた大切
          なことは手紙にして渡しました。
          先生が手を加えて正していく教育ではなく、自分で気づかせ、個性を生かす心の通い合う教育で
          した。
          塾で学んだ塾生は総勢90名前後と言われており、彼らの活躍あって現在の日本があるのです。

       *(講義室)

                 


                             


       *(講義室/左側より)

                  


                       


       *(玄関方面)

                      


       *(塾生控室)

                               



                         (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●

 

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