(6)巽櫓 3

                  


                       (画像をクリックすると大きくなります)    (駿府城公園
   

                         << (四) 駿府城の発掘調査 >>

  ● (四) 駿府城の発掘調査

                  


       静岡地場産業発展の系譜

                                 


                      


    * (駿河蒔絵「飾り箱」)・・・(駿河指物「栃拭き漆盛器」)

              


    * (張り下駄「大角」)・・(彫り下駄「大角」)・・(張り下駄「女右近」)・・( 駿河竹筋細工「花器」)

           


      寄贈者  静岡県志太郡大井川町上新田789
              牧田人形店 牧田哲也氏 伝統的工芸品駿河雛人形 胴体部門 伝統工芸士
      作品名  伝統的工芸品 駿河雛人形 親王飾りセット
      所属組合 静岡県節句人形製造協同組合

              


                    



                       


    * (昭和初期、漆塗り本金蒔絵) 静岡県優秀技能者・伝統工芸士(錺り金具) 上坂良一氏寄贈

                


    * (静岡挽物「飾り壷」)・・・(静岡挽物「盛り器」)・・・(蒔絵下駄「右近」)

        


       駿河指物(さしもの)
          駿河漆器・駿河蒔絵と同じく、浅間神社造営にあたった工人達が技術を広めたのがきっかけと
          なり駿河の特産指物工芸の発祥となったと伝えられています。
          大名等が使った机箪笥や硯箱、文箱、煙草盆など道具は様々。
          長い間培った指物師達の精緻な技は、明治に至り鏡台づくりを契機に、やがて静岡を全国有数
          の総合家具産地へと発展させる源流ともなりました。

       駿河塗下駄
          静岡における履物の発展には漆器がその裏付けとなってあり、特有な技法を駆使した塗下駄
          で全国にその名声を高めてきました。
          江戸時代から明治時代にかけて、江戸、京、大坂の花柳界の風習や流行がそのまま伝わり、
          様々な履物が作られました。
          明治の初期、本間久治郎は、大衆向けであった吾妻下駄(あずまげた)に漆塗りを試み、売り出、
          しこれが静岡での塗下駄の発祥となりました。

               


       駿河漆器・駿河蒔絵
          静岡の浅間神社造営後、全国から集められた優秀な漆工たちはこの地に定着し技を磨くかた
          わら広く人々に漆芸技術を教え様々な器物をつくったのが、駿河漆器の発祥となったといわれ
          ています。
          八代将軍吉宗の時には幕府の保護を受け、販売経路の広がり、大名たちの土産品として好ま
          れました。
          駿河蒔絵は、文政11年(1828)の頃、信州飯田の画伯天領が駿府に住む塗師中川専蔵に技術
          を教えたのがはじまりとされています。
          彼等の出会いが今日見られる花鳥草木のデザインを生んだのです。

       駿河竹千筋細工(たけせんすじざいく)
          静岡は古くから良質の竹が豊富に産出され各種の竹細工が製造されており、江戸初期にはす
          でに、府中七間町(現七間町)に枕や虫籠、硯箱などを売る店がありましたが今日のような精巧
          な竹千筋細工は、天保11年、岡崎の藩士・菅沼一我(すがぬまいちが)が清水猪兵衛(しみずい
          へい)に伝授したのがはじまりとされています。
          静岡の竹細工の大きな特徴は、他の産地は平ひごを編んで使うのに対し、静岡は丸ひごを使
          い、1本1本組み合わせて製品にする違いがあります。

               


       駿河雛具(ひなぐ)
          室町時代の文献に、公家の風習で、若い婦人へ「ひいなはりこ」等を贈った記述が数多くあり、
          静岡ではこの当時から雛遊びが定着せていたようです。
          雛具が静岡県で生産されたのは江戸初期。
          2代将軍秀忠の久能山東照宮、3代将軍家光の浅間神社造営の際、全国から集められた優秀
          な職人が完成後、駿府に留まり、木地指物(きじさきもの)、挽物(ひきもの)、漆(うるし)、蒔絵(ま
          きえ)などの技術を利用して木漆工芸品を作ったのがはじまりと言われています。
          現在は、全国の90%が静岡で生産されています。

       駿河雛人形
          胴体の生産では全国生産の約70%を占める駿河雛人形。
          そのルーツは、桐塑(とうそ)による煉天神(ねりてんじん)という説が有力です。
          天神とは、学問の神・菅原道真を形どった人形のことで、江戸時代末期には、衣装を着せた衣
          装着天神が作られ、これが現在静岡で生産されている衣装着雛人形の礎になりました。
          駿河雛人形は、胴体部に藁胴が使われ、これらに金らん等を着させた大変華やかな物です。

              


                         (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●

 

HTML Builder from Excel   作成:QQQ