西国観音〜東口管理所コース

                     

2007.06.05 鋸山・山頂−−−西国観音−−−−二天門(通天閣)−−−座禅石−−−百躰観音−−

−−あせかき不動−−−甚五郎の墓(大野英令之墓)−−−宝筺印塔−-−日牌堂−−

−−奥の院無漏窟−−−維摩窟−−−聖徳太子−−大仏口管理所−−−通天窟−−

−−日本寺仮法堂・達磨石・大蘇鉄・鐘−−薬師堂(建設中)−東口管理所−−駐車

            東口管理所〜山頂コースは、赤線です
            西国観音〜東口管理所コースは、黒線です


              (画像をクリックすると、大きくなります)

頂上から ”千五百羅漢道” へと階段を下って行くと、”西国観音” になります。
   千五百羅漢道
      当山曹洞第九世、高雅愚伝禅師の発願により、上総桜井(現木更津市)の名工、大野甚五郎英令が
      1779年から1798年に至る21年間、門弟27名と共に生涯をかけて1,553体の石仏えお刻み、太古より
      の風蝕によってできた奇岩霊洞の間に安置し奉ったものです。
      これは実に、比べるものがないといわれた中華民国壊安大中寺の八百羅漢をしのぐもので、鋸山は
      世界第一の羅漢霊場として遠く海外にも知られています。
      真心をこめて彫刻された千態万状の尊像は、人間の喜怒哀楽を表現し、一つとして同じ顔がないと
      いわれており、語りかけるような豊かな表情と風雪にさらされて、味わいを増した石仏群は驚くべき
      名作です。
   西国観音(さいごくかんのん)
      ”一法を見ざれば即ち如来  方に名けて観自在を為すことを得たり” の標示があります。
      1969年(昭和44年)6月、4年にわたる復元工事によって原型が復元されたそうです。

    * (階段を下って)・・・(西国観音)

                      


               

 
再び石段を下って行くと、岩のトンネル ”通天関” が現れます。
   通天関(つうてんかん)
      石像が二体安置されている事から二天門とも呼ばれています。
      ”巌陜く関を過るが如く 柳面すれば天に登るに似たり” の標示があります。

    * (階段を下って)・・・(通天関)

                         


                                      


”座禅石” の所から左を下ると ”大仏広場”に着きます。
右を下ると、”百躰観音” になります。
   百躰観音(ひゃくたいかんのん)
      ”衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦 西国・板東・秩父観音を合祀す”
          の標示があります。

    * (座禅石)・・・(百躰観音)

                         


    

 
   あせかき不動
      ”身の罪の重きを恨みたきつせの 不動の力たのむうれしさ” の標示があります。

                  

   大野英令之墓(おおのえいれいのはか)
      安永8年当山に上り、造仏に生涯をかけた不世出の名工大野甚五郎英令の墓 木更津櫻井出身

                   


           


すぐ隣に ”宝筐印塔” があります。
   宝筐印塔(ほうきょういんとう)
      内部に ”宝筐印陀羅尼” の経文を納めたものです。
      鎌倉時代以降、在来の石層塔、多宝塔、宝塔、五輪塔、板碑等とともに流行した一種の石塔婆です
      今は塔の一形式をさしているようです。
      ”無明の実性即仏性 本源自性天真仏
           江戸蔵前 大口屋平兵衛 寄進”  の標示があります。
                              


   日牌堂(にっぱいどう)
      ”諸行は無情にして一切空なり 即ち是れ如来の大円覚” の標示があります。

                            


左の階段を下ると ”維摩窟” になりますが、”奥の院無漏窟” に向かいます。

                            


   奥の院 無漏窟(むろうくつ)
      ”無上法王の奥 十方の諸仏集まる” の標示があります。

                  


                   

 
戻り右折して下って行くと ”維摩窟” になります。
   維摩窟(ゆいまくつ)
      ”不思議解脱の力 妙用恒沙也た極利無し” の標示があります。

              


                  





”維摩窟”の上に ”聖徳太子”の像があります・
   聖徳太子
      ”法中の王 最も高勝 河沙の如来同じく共に証す” の標示があります。

                 

 
”天台石橋” を渡り、”弘法大師護摩窟”を通過し、大仏口管理所前から下って行くと ”通天窟” になります。
   通天窟(つうてんくつ)
      ”当山中興高雅愚伝禅師 永平総両開山を安置す” の標示があります。

                  


”鋸山に遊ぶ  梁川星巌” の石碑がたっています。
   梁川星巌(やながわせいがん)
      幕末、神田お玉ケ池に”王池吟社”を開き、江戸詩壇を風した漢詩人
      美濃(岐阜県南部)の人

        柳丹万丈芙蓉を削る・・りゅうたんばんじょうふようをけずる
        寺は磅とうの第幾重にか在る・・てらはほうとうのだいいくえにかある
           磅とう・・・”とう”は、石と唐を合わせた字です
        地を捲くの黒風海角より来たり・・ちをまくのこくふうかいかくよりきたり
        時有りて微雨山容を変ず・・ときありてびうさんようをへんず
        三千世界孤掌に帰し・・さんぜんせかいこしょうにきし
        五百の仙人一峰を共にす・・ごひゃくのせんにんいっぽうをともにす
        怪しみ得たり残雲の腥気を挟むを・・あやしみえたりざんうんのせいきをはさむを
        老僧夜降す石澤の竜・・ろうそうよくだすせきたんのりゅう

                          

 
   日本寺仮法堂
      聖武天皇の勅詔と、光明皇后のおことばを受けて、神亀2年(725)、高僧行基菩薩によって開かれた
      関東最古の勅願所です。
      初めは法相宗に属し次いで天台、真言宗を経て曹洞禅宗となって、今日に及んでいます。
      昭和14年(1939)に登山者の過失で山火事になり、仏像や建造物など文化材を焼失してしまい現在
      仮法堂があります。
         達磨石(だるまいし)
             ”広庭松下の祖 四方面壁の相” の標示があります。
         大蘇鉄(おおそてつ)
             ”源頼朝公お手植 樹齢約八百余年” の標示があります。

    * (日本寺仮法堂)・・・(達磨石)・・・(大蘇鉄)

                  


   日本寺の鐘(海中出現鐘 国指定重要文化財)
      はじめ下野国佐野庄堀籠郷(栃木県佐野市堀米町)の天宝寺(現称天応寺)鐘として寄進され、
      六十年を得て、鎌倉五山の一である浄妙寺鐘となりました。
      のち江戸湾を渡って日本寺鐘となった歴史的名鐘です。
      日本寺に移った時代は不明。
      鋳工は、幾多の国宝や重文の茶の湯釜を残した佐野天命(佐野市天明町)の助光です。

               


   四方竹(しほうちく)
      ”松に古今の色無く 竹は上下に節あり” の標示があります。
      幹が丸ではない四角い(丸みを帯びている四角形)竹。

    * (四方竹)・・・(薬師堂方面に向かいます)

                                

 
左手に現在建設中の ”薬師堂” が見えてきました。
2007年10月に完成するそうです。 完成後、ぜひ訪れたいです。

                           


”大黒堂” から右折して ”東口管理所” を出て、駐車場に到着です。
まだ見学していない場所が沢山あります。
次回訪れた時に追加しようと思っています。


                       (画像をクリックすると、大きくなります)



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