(2)長坂〜表門

                          


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          <<長坂−→長坂門跡(二の門跡)−→御物頭御番所−→表門跡(一の門跡)>>

 ● 長坂 ●
     売店脇の階段を上り「長坂門」へ。
     この長坂という名称は長い石段「長坂」にちなんでいるとのこと。

                  


 ● 長坂門跡(二の門跡) ●
     長坂門は本丸の玄関口である表門(一の門)の前に設けられており、「二の門」とも呼ばれていました。
     現在、久保田城跡に唯一残っている「御物頭御番所」(秋田市指定文化財)がこれらを管理。

                          


 ● 御物頭御番所 ●
     「御物頭」は秋田藩の行政機構の中では番方に属す役職であり、配下の足軽を指揮して二の門(長坂
     門)の開閉及び城下一帯の警備を担当。
     北側には七畳半の休息所や台所・便所があり、中二階には八畳の部屋が配置されています。
     「国典類抄」によれば御物頭番所は宝暦8年(1758)に焼失したのち、再建され、安永7年(1778)以降
     の火災では類焼を免れたと考えられることから、建築年代は18世紀後半と推測。
     昭和63年3月、保存修復工事を行い、平成2年に秋田市文化財に指定されました。
         形式  切妻造南屁付 こけら葺屋根   間口  約10.5m(5.5間)
         奥行き 約9.5m(5間)             平面積 約100u(30坪)
                                      平成13年11月   秋田市

                          


                  


 ● 表門跡(一の門跡) ●
     表門は久保田城本丸の正面で、「一ノ門」とも呼ばれています。
     本丸の玄関口として警備上から重要な地点とされており、左手には門の警備と管理をする「御番頭局」
     門の下手には侵入者を警戒する「御物頭御番所」を置いて厳重な守りを固めていました。
     久保田城は慶長8年(1603)に築城して翌年に完成し、表門は元和8年(1622)に最初の建て替えが行わ
     れています。
     その後、寛永10年(1633)、安永7年(1778)等何度か火災に見舞われました。
     この門は、絵図などの文献資料や発掘調査の成果をもとに再建したもので、構造は木造2階建て瓦葺
     き櫓門であり、佐竹20万石の正門にふさわしい壮大なものとなっています。 平成13年3月 秋田市

                          


                  


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                                ● (入口へ) ●

 

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