(4)齋館→鳳輦神輿奉安殿

                    


             (7)齋館・資料館・・(17)浦安稲荷神社・・・(18)鳳輦神輿奉安殿

            (19)三宿稲荷神社・金刀比羅神社・水盤・・(20)末広稲荷神社

            (21)水野年方顕彰碑・・(23)裏参道(旧女坂)


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   ● 齋館・資料館
        2階には神田祭のジオラマをはじめ、神田祭に関する資料を多く展示。
        3階には神田明神に伝わる神宝を展示。
        各階に江戸時代の錦絵も展示しています。
          開館日:土日、祝祭日の午前10時〜午後4時 拝観料:大人300円、学生・子供200円

                  


                 


   ● 浦安稲荷神社
       御祭神  宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
       祭礼日 3月午の日
         この神社は、住吉江戸平川の河口に近き一漁村の住民により祀られ、天正年間(1573〜)徳川
         家康公江戸入府に当り城下町整備に際し鎌倉町の成立と共にその守護神として勧請されました
         寛政9年(1797)同町の崇敬の念篤き大工職平蔵により社殿が造営され、爾来、浦安稲荷社とし
         て伝えられています。
         その後天保14年(1843)8月、町割改めに際し神田明神御境内に遷座、さらに明治維新及びその
         後の戦火災に依り復興できぬ内神田稲荷社五社を合祀し今日に至っている。

                  


                             


                                 


   ● 鳳輦神輿奉安殿
        神田祭神幸祭に出される神社鳳輦(一の宮・大己貴命がお乗りになる一の宮鳳輦)・神輿2基(二
        の宮・少彦名命がお乗りになる二の宮神輿、神田明神大神輿)が大切に保管されています。

                          


   ● 三宿稲荷神社
       御祭神 宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
       祭礼日 10月初旬   創建の年は不詳。
         江戸時代より神田三河町2丁目(他に皆川町・蝋燭町・旭町の一部が合併れ、昭和10年に司町
         一丁目に改称。更に昭和41年より住所表示に関する法律により、内神田1・2丁目の一部に編
         入され、内神田司一会となる)の守護神として奉斎されていた。
         その後当社12代神主芝崎美作守の邸内に祀られていた内山稲荷と合祀され、当社の末社とし
         て奉斎された。
         現在の社殿は、昭和41年10月7日に再建され、金比羅大神と共にご鎮座された。
  ● 末社 金刀比羅神社
       祭神 大物主命(おおものぬしのかみ)、金山彦命(かなやまひこのみこと)
           天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)
         天明3年(1783)に、武蔵国豊島郡薬研堀(現在の東日本橋二丁目両国町会)に創建された。
         江戸時代には、神祇泊白川家の配下となり、祭祀が斎行されていたが、明治6年(1873)7月に村
         社に定められた。
         ついては隅田川の船人たちの守護神として信仰され、その後、町の発展と共に商家、特に飲食
         業や遊芸を職とする人々の厚い信仰を集めた。
         昭和41年10月7日、両国より神田明神境内に遷座し、三宿稲荷神社とともに御鎮座された。

                  


                                     


  ● 水盤 一基 (千代田区指定有形民俗文化財 平成14年4月指定)
       この水盤は、左右の側面にある銘文によれば文化2年(1805)2月に伊勢屋治兵衛によって奉納され
       たことがわかります。
       さらに、背面の銘文によると、安政3年(1856)6月に神田・日本橋・京橋・下谷・本郷界隈にすむ45名
       の人々によって再建されたと考えられます。
       安政3年の人物について調べてみますと、「諸問屋名前帳」(国会図書館所蔵)からこれらの人々の中
       には川辺炭薪問屋仲間・炭薪仲買・人宿・六組飛脚問屋などといった職業を持つ町人たちであること
       がわかります。
       また再建にあたり揮毫を書家の平林惇一が行っていますが、平林惇一は書家細井広澤の流れを汲
       み江戸日本橋室町で代々書屋を営んでいた平林家に関わりがある人物と考えられます。
       材質は石。寸法は高さ61cm、横幅136cm、奥行59.5cm。
       この水盤は、千代田区における江戸時代の信仰の一端、特に神田神社やその末社で材質はある金
       比羅神社・三宿稲荷神社と江戸の町人たちとの関わりを知ることができるものです。
                                             千代田区教育委員会

                          


  ● 末広稲荷神社
       御祭神 宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
       祭礼日 3月牛の日
       当社御創建の年代は不詳でありますが、元和2年(1616)頃のもので極めて古い神社であります。
       昔より、庶民信仰が篤く、霊験あらたかな出世稲荷さまとして尊崇されている。
       現社殿は、昭和41年2月28日に東京鰹節類卸商組合の有志にり再建された。

                  


                             


                      


  ● 水野年方顕彰碑 一基  千代田区指定有形文化財(歴史資料) 平成13年4月1日指定
       この顕彰碑は、神田神社本殿の北側、裏参道の脇にあり、正六角形の燈籠をかたどった小塔です。
       高さが3m78cm余、正六角柱断面の六角形の一辺は40.7cmです。
       この碑は、浮世絵系の日本画家である水野年方(慶応2年・1866〜明治41年・1908)を顕彰するため    
       に、大正12年(1923)5月に門人らが建設したものです。
       水野年方は、左官棟梁の子として、江戸神田山本町に生まれています。
       (一説に、神田紺屋町ともいわれています)
       明治28年(1895)ころまで、つまり彼の画業の前半期を神田東紺屋町で過ごしており、千代田区にと
       って関わりの深い画家のひとりです。
       水野年方は、14歳で歌川派の月岡芳年の門に入ります。
       さらに、芝田芳州・三島蕉窓・渡辺省亭らの画風も学んでいます。
       年方が実際に活躍したのは明治時代で、人物がのほか草木風景の描法にも独自の様式を樹立した
       といわれ、明治中後期には戦争画も描いています。
       さらに「やまと新聞」を始めとする新聞や雑誌の挿絵も手がけており、新聞挿絵は年方によって一段
       の進展を遂げたといわれています。
       年方の門弟としては鏑木清方・池田輝方・池田(榊原)蕉園・荒井寛方らが、また鏑木清方の門弟と
       しては伊藤深水・山川秀峰がいるなど、水野年方一門からは近代日本画を代表する画家たちが多
       数輩出されています。
       この顕彰碑は、水野年方とその一門が、神田周辺に深く関わりをもっていたことを示すものであり、
       千代田区内における絵画の歴史を考えるうえで重要なものといえます。
                         平成14年3月       千代田区教育委員会

                                 


  ● 裏参道(旧女坂)

    * (右画像/下っていくと)

                          



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                               ● (入口へ) ●

 

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