四脚門 /赤門

  ● 四脚門 (赤門 国重要文化財 明治40年8月28日指定)
       織田信長により全山焼かれた後、慶長11年(1606)家康公の寄進を受けて再建され、「乾徳山」の
       額が掲げられています。
       天正10(1582)年武田滅亡の直後、織田信長の命令で伽藍は焼き討ちされましたが、四脚門だけは
       厄をのがれました。
         丹塗りの門であるところから通称「赤門」とも呼ばれている切妻造り、檜皮葺きで、本柱、控柱と
         ともに円柱を用い、柱には粽形が付けられ、柱下には石造礎盤が置かれている。
         中通しの本柱は控柱より太く大きく、これを桁行に通した頭貫で繋ぎ、その上に台輪を架し大斗
         枠・肘木・実肘木を組み、軒先を海老虹梁で繋いでいる。
         このような極めて簡単な構架ではあるが、全体に木割りが大きく、その意匠は雄大であり、桃山
         期の豪放な気風をよく現わしている。     平成7年3月 甲州市教育委員会

                  



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                               ● (入口へ) ●

 

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